否定をするなら意見もワンセットで
●否定をするなら意見もワンセットで
どうも、早乙女です。
今回は、否定をするなら意見もワンセットで、というテーマでお話しさせて頂きます。
音声はこちらから。
否定するだけなら誰だってできる

最近イベントの企画事をすることがありました。
イベントの中で自己紹介タイムなどいろんな企画が入っていて、その企画について諸々もめていたんですね。
「その内容はびみょーじゃない?」という感じです。
それは真っ当でその通りだと思ったので、確かに軌道修正は必要だと思いました。
そしてここでものすごく感じたのが、「ここはこうびみょーだから、こうした方がいいんじゃないか」と意見、提案を入れてくれる人と、「ここはびみょーだからどうにかしなさい!」と否定だけをする人に分かれたということです。
前者の意見もワンセットでくれる人はとても助かりましたしなるほどと思いましたが、後者の否定だけ、っていうのは「マジ勘弁…」という思いでした。
だってまぁ、否定だけされても、どうすればいいか分からないじゃないですか。
ざっくりと言われたことを言うと、「それだと来る人が喜ばない」「もっと良いとやり方が、絶対あります」「スタッフの人に相談して、考えてみてください」みたいなスタンスだったんですね。
いや、それってなんだよって思いませんか?
まあ言葉から、こうすれば意見がなくて、で多少察せられたとしても、それって不可能だよね、って思うんです。
意見がなければ適用できずに困るだけ

当たり前ですが、贅沢に使える資金も無限に使える人的リソースもないので、限られた中で最大限楽しんでもらうことになります。
潤沢な資金で一生ものの贈答品とかを送ればそれはもちろん相手としては一生忘れられないくらいスゴイものだと記憶に残るかもしれませんが、現実的にできません。
あるいはスタッフの人とかを雇えばおもてなしは完璧かもしれません。
でも、そういったことができないから、今ある手持ちのリソースでどこまで頑張るかを模索して、話し合って、何をするか決めるんです。
その前提条件なしに、「こうした方がいい」という意見のない一般論を言われても、「じゃあどうしろってんだい!」と困ってしまいます。
というか、困りました。笑
だから自分が逆に企画側の人に提案するときは、予算とか決める人的リソースを考えて、というか自分が企画側の立場に立ったところを想像して考えて、意見もワンセットで伝えます。
むしろそうじゃないと困ると、実感があって分かるからです。
「無限にお金があった場合」とか「時間的に余裕がある場合」とかを想像してブリザーブドフラワーを用意するとか高級デパートの詰め合わせセットを提案するとか、言われても用意できないですし、困るじゃないですか。笑
だから、企画側の立場に立って、現実的な意見や提案をワンセットでするのが大切だと考えて、実際その通りに話をしています。
理想は大事だと思いますが、ここは現実なので、色々縛られたことしかできません。
理想的にこうした方がいい、っていうのは実際に実行には移せないので、思いもしないかもしれませんが、頭では誰だってわかっていると思うんです。
イベントに出席して、ご時世的にムリですけど世界一周旅行券とか、めちゃくちゃ嬉しいですけど、できるワケないじゃないですか。笑
そうやってできないから、誰だって限りあるリソースを考えて、悩んで色々試行錯誤するんです。
その前提をおろそかにして話すと、現実と乖離しすぎて、結構寒いことになるので、否定するならワンセットで必要ですよ、というお話でした。