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無意識は自分と他人の区別がつかないっていうけど、本当?

●無意識は自分と他人の区別がつかないっていうけど、本当?

どうも、早乙女です。

今回は、無意識は自分と他人の区別がつかないっていうけど、本当?、というテーマでお話しします。

音声はこちらから。

疑似的に飛び降りるだけで怖い

いきなり話がぶれるかもしれませんが、ゼノブレイドクロスというゲームはやったことがありますか?

プレイしてしばらくするまで世界観が全然理解できずにやめようかと思ったゲームです。

あと、オープンワールドっていうのが自分の性にあっていないのか、ちょっと微妙だったっていうのがありました。笑

オープンワールドっていうのが自分にとって進み方が良く分からなかったというか、自分が進化についていけないのかもしれませんが、自分でちょうど良い敵を探して倒すのが面倒なので、向こうから、マップを進んでいれば自動的にちょうど良い敵が現れ続けてくれるのが、助かるなぁと思ったのもあります。

で、このゼノブレイドクロスでは三人称視点でいろんな地形を巡ることができます。

それでこのゲームであったことなんですが、富士山も真っ青なくらい高いところに上って、そこから命綱なしで飛び降りることができます。

その辺の設定は超人系なので、落ちても普通に着地できるシリーズです。

で、ものすごく高い所に上って、飛び降りた時、個人的には結構ビックリしたんですが、ものすごく怖かったんです。

画面の動きとしては自分の操作しているプレイヤーが飛んで、フリーフォールして、それに従って画面が動くような形になっています。

理論的に考えて自分が落ちるはずがない、当たり前なんですが、そのはずなんですが、なぜかめちゃ怖かったんです。

だって人が下に落ちる映像を流しているだけなのに、自分は1mmも落ちないのに、まるで自分が飛び降りているかのような、ぞわっとした感覚があったんです。

このときに、無意識は自分と他人の区別がつかないっていう話の片鱗を理解できました。

このゲームで人が飛んで自分が飛ぶように感じるって、明らかにおかしいじゃないですか。

ゲームの話なので、画面内の話なので、明らかに自分に害はありません。

なのに、怖いと思っている。

現実的に、意識的に自分に影響はないので、全く怖くないと思っていなくても、本能的に怖いと感じるからじゃないかと思えたんです。

自分がそうだと思えば現実もそういうものだと思う

ホラー映画と同じだと思って、ホラー映画を見て自分に影響はないけれども、めちゃ怖いです。

これと同じことなんじゃないかと思えました。

コーチングで、脳は自分と他人の区別がつかないなんてことが言われています。

人に悪口を言うと自分に言うのと同じだから言葉をキレイにしましょう的な話です。

何となくそうなんだー、と思っていましたが、本当か? とずっと思っていました。

で、それからこのゲームをしたとき、脳は自分と他人の区別がつかない、これを言い方を変えれば、頭が想像したことと現実の区別がつかない、ってことじゃないかと思ったんです。

VRで恐竜に乗って世界を旅したことがありますが、そのときに高い所から恐竜が自動で飛び降りる、っていうパートがあったんですが、そのときも結構な恐怖でした。

ただ乗馬マシンに乗ってVRを見ているだけ、ってわかっているのに、です。

っていうことを思うと、自分が本能的に感じたことが意識は全く別にしてリアルに、現実になるんじゃないか、と考えたんです。

ということになると現実では、会社で鬱屈とした話ばかり聞くと、現実も最悪な場所だとそう反応的に思ってしまうのではないか。

特に理屈もなく、そういった情報に触れていれば見える現実もそうなるんじゃないかということです。

ずっとモヤモヤしているコロナもそうで、みんなが危ないと言っているから、みんな危ない! って感じる、そんな節があるように思います。

そういった正しいかよくわからないけれども、みんながいうからそうなんだろうと無意識な刷り込みを感じたんです。

そう考えると、インフォデミックを聞いて、情報的にニセとか、そんなに正しくない情報に触れて、踊らされ続けていると、世界の恐怖とか、現実とは全く違う方向ばかりにアンテナがいって、自分の感覚が埋もれてしまうように思います。

自分の意識で生きるつもりが、他人の意見で生かされている、かなーり怖い感覚があったんです。

そう思ってから、自分は意図的に良い情報に触れるようにしています。

別に良い情報っていうと誤解を生みそうなので補足すると、~~夫妻に赤ちゃんが生まれましたとかそういうどうでもいいことではなく、それは逆に頭がお花畑になるので触れずに、なりたい自分の方向の情報に触れ続けたんです。

特にこういった音声ですね。

良い方向に進みたいなら、その方向の情報に触れ続ける必要があると、確信めいたものがあってから、音声を常に聞くように意識しているんです。

自分が触れる時間に長いものに引っ張られるので、そちらが現実として認識できるようになる、というのはやっぱり脳が現実とフィクションの区別ができていない、っていうことがあると思ったんです。

無意識は自分と他人の区別がつかない、っていうのを自分の未来の方向に利用すれば、現実を変える大きな力にすることができます。

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