真面目一辺倒に生きるということは、生きにくくなるということ
●真面目一辺倒に生きるということは、生きにくくなるということ
どうも、早乙女です。
今回は、真面目一辺倒に生きるということは、生きにくくなるということ、というテーマでお話しします。
音声はこちらから。
現実はクリーンでもシンプルでもない

白河の清きに魚も棲みかねて もとの濁りの田沼恋しき
社会、歴史の授業で出てきた、江戸時代の言葉です。
松平定信が行なった「寛政の改革」に対する批判のことです。
さっきの言葉を意訳すると、綺麗すぎる水の中では、魚は生きられない。
松平定信が行なった「寛政の改革」はまさにクリーンすぎて、息苦しくて生きにくい。
だから田沼意次の賄賂が横行しており腐敗していたけれども、その時代の方が良かった、ということでした。
この言葉の意味を聞いてその頃に思ったことが、「正しいことをしているのに、何で上手くいかないんだろう」と、正直理解が全くできていませんでした。
というのも、言葉通りで繰り返しになってしまいますが、もちろん正しいことですよ、正しいことをしたのに民衆から反発を受けてしまう理由が、良く分からなかったんです。
でも、今振り返って思って、そんなことは幻想で若かったな、と振り返って思いました。笑
現実的に、クリーンなことだけで人は生きられないんです。
あるとき、仕事の悩みで相談を受けたことがあって、その話がちょっとめんどくさくなって、受け流していたことがあります。
その人は税理士で、「お客さんが税務をきちんと提出してくれなくて、困る」という話を聞いていました。
その人は正義感が強いというか、「こうあるべき」と思ったことを、理想的だと思ったことに向けて全力で頑張るタイプで、その態度とか人としてスゴイと思っている人でした。
ただ同時に、「友人としては良いかもしれないけれども、仕事仲間としてはちょっとな…」と思えるような人でした。笑
というのも今回の話も詳しく聞いたところ、「Suicaで使った費用の中でどれが業務で利用した交通費なのかを提出してくれない」とか「仕事でかかった費用をざっと渡されて、1点1点提出してくれないから正確な計算ができなくて困る」といった内容でした。
これを聞いて、「それは当然のように処理すべき」と思ったなら自分とは仲良くなれないと思います。
あるいは確定申告をしたことがなくて、理想論を掲げているのだと思います。
そんなことが、絶望的に面倒すぎて、正直その量が多すぎて、あるいは領収書としても出力がそもそもできなくてやりきれないからです。
1円単位で全てを正確にするのは、現実的に不可能

例えばSuica。
自分もかつて「業務で利用した交通費」がどれかを明確に判別できるように、Suicaのカードリーダー、Sonyのやつですね、を買い、またインターネットエクスプローラー、通称IEでしか動かないJRなんたら会員になって、Suicaからデータを抜き出し、「これが事業で使った交通費」というのを明確に分かるように書き出していました。
Suicaを使っていれば、カードタイプですね、毎回領収書なんて出ませんし、どうやれば証拠を残せるか必死に探した結果の、カードリーダーから情報をとる、という手段です。
で、それの機能が半年ごとにデータがなくなってしまうので半年ごとにデータを取得し、きちんと保存をしていたんです。
けれども一昨年か3年前ぐらいからサービス終了のお知らせが来て、カードリーダーから情報をとる、という手段が使えなくなってしまいました^^;
ヤバイ、これでは確定申告で交通費の清算ができないと悩んで税務署に相談に行ったところ、「領収書じゃなくてメモでも大丈夫ですよ~」と言われました。
領収書は公的なものでなければならない、と思っていたので、あまりに拍子抜けな回答で、がっくりとしてしまいました。
公的な証明書ではなくて、自分のメモとか、テキトーで証明が正確にできなくてもいいのか、と思ってしまったんです。
また、仕事でかかった費用についてもそうでした。
物販をしていて、1点1点の商品すべてについて売上、支払手数料、仕入れ値、梱包費用、荷造運賃など全項目を書かなければならないのか、これ書く量が多すぎて、それはあまりにしんどいと思いました。
なので税務署に相談に行った結果、「まとめてで大丈夫です」との回答でした。
それを聞いたときにも、ちょっとがっくりはしてしまいましたね^^;
…といったことが自分の場合はありまして、ある程度テキトーになりたっているんだよ、とその仕事で悩む人に話したんですが納得してもらえず、「それだと不正確だ」と頑なに態度を変えませんでした。
そのとき、「クリーンすぎる信念は住みにくい」ということを体感できたんです。
他の事例、例えば税務に関してネットで色々情報を探ると、年収500万円の人の中には、確定申告をきちんとした上で、所得税や住民税がかかっていない人がいる、ということを見たことがあります。
詳細は分からないのでなぜかは分かりませんが、おそらく500万円から将来への投資とか、研修とか色々使っているんだろうなあ、と思っています。
しかしですねそれに対しても「年収が500万円もあるなら絶対に税金を納めるべきだ」とその人はまだ愚痴っていて、本当にめんどくさいと思い始めたんです。笑
いや~これは話が永遠に平行線だなぁと、無理だなと思ったんです^^;
人は不完全だから、完璧なことなんてできるはずがない

インボイス制度が弱い者いじめだといわれている節と通じている話だとも思うんです。
インボイス制度って要は、要は消費税を納める事業者になるか非課税事業者になるかという話で、仕入れ分の消費税を引くには仕入れの事業も課税事業者にならなければならない、というところが問題になっています。
今まで非課税でできていたのに取引先からインボイス制度のために、うちがちゃんとした消費税分が戻ってくるよう、あなたが課税事業者になってくれと言われている、ってことです。
そうなると今まで非課税でそれがちゃんと大丈夫だったのに、消費税分得をしていたのに、それを払わなければならない、余分にコストがかかっているということで、弱い物いじめになっている、ということです。
正義に燃えている人は、おそらくこの「消費税分得をしている」っていう状況が許せないんだろうなあ、って思います。
こんなことを言ったら反感を買うのかもしれませんが、かなーり厳しいと思いませんか?
もちろん合法的ですよ、合法的に確定申告で出たちょっとしたラッキーも許容せず、またあらゆる経費について全て領収書を求め、全てが完璧でないと許容しない。
そんな世界、あまりに生きづらいと思いませんか?
というか、そうなったら確定申告をしている人の半分以上が許可が得られないんじゃないでしょうか?
確定申告のときに毎回列に並んでいるご老人とか、もはやどうしようもなくなると思います^^;
完璧な正しさを求めていれば、住みにくくなりますし、居心地はものすごく悪くなります。
その相談した人も会社での居心地が相当に悪いらしく、個人的にはクリーンなものを求めすぎていて、それを同僚とかにも求めているっていうことを聞いているので、「そりゃそうだろ」って感じでした。
人間は不完全ですし、完璧なことなんてできません。
その前提を忘れて自分なりの完璧、正義を他人に強制せず、もっとゆる~く生きた方が良いと思います。