面倒見主義な人が考えるコーチングの視点

●面倒見主義な人が考えるコーチングの視点

どうも、早乙女です。

今回は、面倒見主義な人が考えるコーチングの視点、というテーマでお話しします。

音声はこちらから。

相手の顔をしっかり見れば求めることが分かる

ありがたいお言葉を頂いたので自慢をすると、自分は面倒見がいいらしいです。笑

そもそも困っていることに気づきやすくて、その困っている救難信号をキャッチするのが敏感らしく、困っている人によく気づけたり、小さな変化に気づけることがスゴイのだそうです。

でもちろん困っている人に対して困ったままそのまま放置することはしなくて、きちんと助け船を出す、というところが「いいですね」と言われました。

ありがとうございます。

個人的には「なんでこうなったんですか?」という質問が来たんですが、回答しようとますと、相手の顔を見るようにしているからではないかと思っています。

セミナーとかをしているとつい発表内容に集中してしまって、スライドの方に目が行ってしまって、相手の顔を見れなくなるんですよね。

セミナーにも限らず、例えば人と食事に行ったときも、良くある話なんですがスマホを見ていて相手の顔を見ないとか、メニューを見ていて相手を見ないとか、コンビニとかでも店員さんの顔を見ず商品を見て、下を向いていて相手の顔を見ずに話す、ということがスゴイ多いなぁ、って思うんですね

ですので、意図的に相手の表情を見るようにしています。

そうやって相手の顔を見よう、表情を見ようと意図的にしていると、「あ、自分って相手の顔を全然見てなかったんだな」と気づけるんです。

で、きちんと見ていれば、相手の表情が変わったことに気づけるんですね。

見ていると「?」の表情になると分かりやすいですし、顔や表情といった視覚だけでなくても、空気としても「?」という、ある種凍った空気になるので、落ち着いていれば「あ、ここ分からないんだなあ」とか「困ってそうだな」ってことが分かると思うんです。

言い方が悪く言えば、ギャグで滑ったときみたいなイメージですね。笑

そうなったら空気がいたたまれないのできちんと説明する、、、ってことなんです。

ですので自分が面倒見が良いというよりかは、自分が相手の顔を見ていない、ということに気づいたのでなるべく相手の顔を見るようにしている、で困っていたら、困っているところを放置するって個人的にはありえないと思うので、相手のフォローに回る、ということを実践している、それだけなんじゃないかと思います。

そもそもゴールが見つからないなら今を楽しむ

この空気を感じるってことに関して、正直なところコーチングで良く感じています。

コーチングで大原則的にあるのが、「ゴールを設定する」ってことだと思います。

自分の将来のあるべき姿を設定する、ってことですが、そもそもこのゴール設定が難しい、って話があると思うんです。

自分にしてみれば、会社での業務に追われていたとき、将来のことなんて考える余裕がありませんでした。

それよりも、肌が荒れすぎていて、現実の痛みの方がきつかったです。笑

そういった状況が慢性的に続いて、未来のことなんて考える余裕、スペースがなくて生きていると、ゴール、あるいはもっと単純に「やりたいこと」「want to」なことっていうのが、なくなってしまうんですね。

これを言うと結構実感してもらえる人が多い、というよりかコーチングをしていてそういう人が結構多いのでわかってもらえるかと思っているんですが、毎日が仕事で占領されすぎていると、やりたいことが疲れすぎて、考えなさ過ぎて分からなくなってしまうんです。

この感覚は自分の付き合っている人からすると分かるんですが、本当に、自分のことなのに自分のやりたいことが全然わからなくなるんです。

テキトーな、美味しい物食べたいとか、ゲームやってたいとか、そういった低レベルなものはあるんですけれども、渋沢栄一みたいな偉大な人になろう! という長期的なスパンで考える理想、ゴールっていうのが、ごそっと、心の中からなくなってしまうんですね。

そうなるとゴール設定それ自体が難しくて、結局から回りしてしまう、明言だったり、世界平和を目指すとか、といったようなカッコイイゴールっていうのを設定して、結局それが大して自分のやりたいことではない、ということで結局一周回って何もしていなかった、みたいになってしまうんですね^^;

考えてもぼんやりしているし、空の引き出しはいくら開けても空なので、何も自分の中からはでてこないんです。

何もないものからは何も出せないんです。

自分が空っぽなら、まず埋めていくことから

そういった状況において、「ゴール設定をしましょう!」と言われても、「…いや、、、ない物はないんだけどどうしろっていうの?」となってしまうんです。

理論的には正しいことは分かりますが、現実的にはゴールがそもそも設定できない、存在しないってことがありうるんです。

まあ正確にはゴールがなければ1年半くらいで死んでしまうといわれているので、他人からセットされたゴールで生き続けていて、自分のゴールがなくなっているんです。

そういった状況なのに一辺倒に「自分と向き合って、瞑想して、ゴールを設定しましょう!」っていうコーチの人がいたりして、そういう人を見ると「相手のことを見ていないんだなぁ」と思ってしまいます。

そういった悪い面が目立つのか、巷のコーチングってテキトーだなぁ、と思ってしまうんです。

苫米地博士も「コーチングができる人とできない人がいる」ってことを仰っていましたが、できる人にはできてとてもいいと思いますが、ゴールを見失ったような人、できない人にはできないので、袋小路に入ってしまう、余計苦しんでしまいます。

おそらくですが、自力でゴール設定ができるなら書籍で十分ですし、もちろんレイヤーというかレベル、段階があるので一様には言えませんが、ある程度理想的な設定ができないから、現実的にはどうするかというチューニングが必要なわけで、コーチという存在が必要なわけです。

もちろんコーチの役割はチューニングだけではないですが、例えばすごすぎる人ならそんなことをしていられないというか、そんなことをしていなくても、めちゃくちゃスゴイ人から「君はスゴイ!」って言われたらめっちゃ自信がでてくるみたいなことで、それはそれでスタイルとしていいと思いますが、目線を合わせてくれる人、コーチなら、チューニングをしてもらうべきなんじゃないかと思っています。

以前10万円かけて1回のコーチングを受けて、本の内容を読み返して終わり、こちらの質問に対しても「ゴール設定をしてください!」で終わったから、「え…」とネガティブな印象がついているってことがありますけどね。笑

…ということを思ってしまうから、価値観として「相手が分からなければきっちり説明する、読み取る」ということがデフォルトで根付いているのかもしれません。

相手をきっちり見れば相手がどう思っているか、大まかに分かると思うので、もっと相手を見て、相手のためになることをした方がいいんじゃないか、というお話でした。

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