可能性を潰す人になるべきなのか、可能性を生み出す人になるべきなのか

●可能性を潰す人になるべきなのか、可能性を生み出す人になるべきなのか

どうも、早乙女です。

今回は、可能性を潰す人になるべきなのか、可能性を生み出す人になるべきなのか、というテーマでお話しします。

音声はこちらから。

周りに合わせて可能性の量を変化させる

自分が企画する側になってどこかに遊びに行ったときによくある話です。

遊びに行った後、どこかに食べに行くことが多いんですが、そのときって大抵困りませんか?

具体的には食事の決め方なんですが、周辺に食事場所が1箇所しかないならものすごく楽なんですが、お店がたくさんあるとき、うだうだすることが良くあります。

みんなが集まっているので、民主主義的に意見を拾うことが大切だと思っています。

なので、「どこに食べに行きたい?」と毎回聞いています。

そして大抵の場合「どこでもいい」あるいは無言回答の場合がほとんどです。笑

そうなると、決める側の人としては結構困るんですよね。

可能性が広がりすぎていて、どこにすればいいか困るからです。

そのため一度聞いて特に意見がなかったら、100%自分の意見で「ここ」と決めています。

逆に自分がついていく側に回ったときは「こういったジャンルがいい」あるいは「このお店がいい」となるべく指定するようにはしています。

決める側としてもある程度可能性が潰されて、すなわち可能性が絞られて選択肢が少ない状態で選べる方が楽だからです。

こういうと「なら毎回自分の希望を押し通した方がいいのか!」と思われそうなので、ちょっと補足しておきます。

みんながみんなバラバラに、「肉がいい!」「魚がいい!」「野菜がいい!」「うどんがいい!」とか言い出すとそれはそれで困ります。

結局どの人の意見を採用するか、ということで「どこを選ぶか」になるじゃないですか。笑

みんながみんな意見を言うと可能性が生み出されすぎてしまって、困ってしまう訳です。笑

ですので、行きたい場所の意見が出たなら、自分も「どこでもいい」スタンスに切り替えるようにしています。

そうすれば意見を言う人が数人で十分に絞られて、可能性がいい感じで潰されて、決めやすい状態になるんです。

といったように、よくある自己啓発本のような「自分の意見を言う」という表面上の言葉だけを実践すると、めちゃ失敗すると思います。

あくまでも、「その場の状況を見て自分がどう行動するのかを判断する」方が大切なんです。

まあ自己啓発書はなんでもそうで、表面的に書かれていることをそのまま受け取って実践したら、全部失敗しますからね。笑

言葉の裏面まで読み取る

とある自己啓発書には「言葉ではなく数字で話せ」という格言がありました。

ここだけ切り取ると、大爆笑ですよね。笑

これをその通りに、忠実に実行すると、「1、1、1、0、8、4、3」とか狂人の話しかできません。笑

本当に額面通りに受け取ったら、コミュニケーションが取れない存在にしかなりません。笑

そうではなくて正確に伝えるために数字で話しましょう、ってことなんですね。笑

当たり前ですがさっきの「1、1、1」とかで話して、通じるはずがありません。笑

そういったバックグラウンドをきっちり理解しないと、狂人にしかならない訳です。笑

だから「これをすれば絶対に大丈夫」なんてことはなくて、必要なのは場の状況を判断して、「どの行動が一番喜ばれるか」が一番重要になります。

可能性を潰す人か生み出す人かどちらが大切か、と言われても一律に判断できない訳です。

誰も意見をくれないなら可能性を潰す人が望ましいし、逆にみんな意見がワイワイ出てきて可能性を生み出す役からは離れるべきです。

といったように、カチャカチャと自分の役割を変えるのが、一番重要になります。

「自分はこう思いまーす!」と自分のやることをここだと、絶対的に決めるのではなく、「こう判断して最適な行動を選択する」という柔軟な一つ上の立ち振る舞いをするのが良いと思いますね^^

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