明日の夕食のこととか考えていますか? 自分は捨てました。
●明日の夕食のこととか考えていますか? 自分は捨てました。
どうも、早乙女です。
今回は、明日の夕食のこととか考えていますか? 自分は捨てました。というテーマでお話しします。
音声はこちらから。
夕食をひたすらシンプルいした結果

タイトルそのままですが、明日の夕食のこととか考えていますか?
明日はカレーにしようとか、カレーの中でもチキンにしようかポークにしようか、作るためにじゃがいもを買わなきゃとか、冷蔵庫の中身を思い出すといったこと、していますか?
自分は捨てました。
自分は栄養バランスを考えて食事をしたくて、そのバランスを計算するために毎回食材の重さを測って100gあたりの栄養素をネットで調べて、、、という作業が面倒すぎて、人と会わないときはほぼ同じメニューで生きています。
米と味噌汁と主食が野菜多めで、十分なんです。
ほぼ同じ食材なので、考える必要もなくて、ほぼルーティンと化しています。
土日は料理で4食分×2くらいまとめて作って、水曜日にも作り直して、必要なら金曜日も作って、という食事に関してはあんまり変わらない毎日、毎週を送っています。
何も考えなくても栄養的に大丈夫だと自信を持てることが一番いいなぁ、と思っているのですが、加えてもう1つ副次的にいいことがありました。
思考のリソースがとられないことです。
望むインプットを増やせば人生は好転する

人は、外部の刺激に反応する生き物です。
生物学的には人といおうのは自発的に動く内臓の器官はなくて、全部例外なく、与えられた刺激によって動いています。
胃は食事が入るという刺激によって動き出しますし、心臓も産まれるという刺激を受けて活動を開始し続けて最終的に亡くなってしまうときに活動を終わってしまいます。
という話をすると大抵の人には反論されますが、よくよく考えてみると己の、純粋な己の意志だけで変えたことは、ないはずです。
自由意志があるじゃないか、という話もありますが、自分の考え方は他人から影響されたものや教えられたものが絡み合ってできているだけで、純粋な自分の意見というのはありません。
また自由意志というのもベンジャミン・リベットの実験で否定されていますよね。
あなたがスイッチを押す数秒前に、脳からシグナルが出ていたのは有名な話です。
その”脳のシグナル”が自由意志だ! という場合も、そのスイッチを押すタイミングというのが他人の意見や影響からの集積でできていて、また時間や今日の気分といったランダムな要素、自分が考える要素の複合体でできていて、純粋な自分だけで決定できていることはありません。
…ということを昔の自分もわかっていませんでしたが、この概念を学んでしばらくして、ようやく飲み込めたように思います。笑
飲み込めてから、人は外部入力、すなわちインプットによって行動が変わるのだと気づかされてました。
例えばバンジージャンプ行こうぜ! ってなった場合には今までインプットした情報によって答え、すなわちアウトプットはバラバラです。
ある人は橋でのバンジージャンプを思い浮かべますし、またある人は施設とか建物で飛ぶバンジージャンプを思い浮かべます。
場所に至っても、長崎のハウステンボスのバンジージャンプを思う人もいれば、群馬の猿ヶ京のバンジージャンプを思い浮かべる人もいます。
思い浮かべるものが違えばその後の行動は変わります。
長崎に行ってバンジージャンプをしに行くか、群馬に行ってバンジージャンプをしに行くか、あるいは新しいところが開拓することが好きなら、全く新しい所へ調べてからいくかもしれません。
あるいはバンジージャンプが怖い、という認識になっているなら、そもそも「嫌だよ!」って断るかもしれません。
外部からの刺激によって、行動が変わるんです。
すなわち、自分にとって望まないインプットを受け続ければ望まないアウトプットになることはザラです。
テレビを見ておいしそうなお菓子の情報を見続ければ、「お菓子を食べたい!」からのスイーツまみれになるアウトプットになるでしょうし、
政治的な争いを見続ければ将来が不安になって、あまり良いとはいえない自分になってしまいます。
自分は昔家でぐうたらすることが多かったですが、この頃はテレビをよく見ていてテレビゲームのことやソシャゲのことを考え続けていたからだと思っています^^;
行動を変えるより、自分のインプットを変えることの方が効果絶大

それは嫌だと思って、インプットをガラッと変えたんです。
テレビを見ない、スマホにメールが来たなど明確な用事がない限りは開かない、両親の話は話半分に聞く、、、などですね。笑
他にも自分にとっては苦渋の決断でしたが、ニンテンドースイッチも、妹にあげてしまいました。笑
家にニンテンドースイッチがあるとついやってしまいますし、ニンテンドースイッチ本体を見ただけでも、見れば昨日やった内容を思い出してどう攻略しようかとつい考えてしまって、時間も思考リソースも取られてしまって、望まない自分になると感じたからです。
ニンテンドースイッチをあげてから始めは禁断症状が出るほど「ゲームやりたくて仕方がない症候群」になっていましたが、今となっては大量に時間がとられる成分が減って、良かったかなぁと思っています^^
他にも政治的なニュース、中でも内情というか、表では言われない陰謀論というか、実はこうすべきだよね、という情報は特権階級みたいな変な錯覚があったからか知るだけで面白くて、ずっと見続けてしまうことがありました。
TPPの話とか、近所住民と国の対立とか色々ですね。
でも、そういうのを見たところで、知ったところで、心に炎が生まれたところで、何も変えられません。
むしろ国に対する変な感情的な反発が生まれて、絶対に良くないと気づいたんです。
それがたとえ趣味であってもそういったことに時間を割くだけで自分が良くない方向に向かってしまう、だからやめようと、本はバッサリと捨ててネットで見ていることもあったのでブラウザのブックマークも全部消して、忘れ去ることにしました。
他にも他人の不幸は蜜の味というのか、芸能人の不倫とか経営が上手くいっていないゴシップとか、全部見ないことにしました。
自分の黒い部分が嬉しくなる、感情的に幸せになるのかもしれませんが、それで成功している人をたたいている記事を読んでも自分の生活は変わりませんし、むしろそれに時間をとられる分、人をやっかむような人間になってマイナスになるばかりなんです。
そのため世間のニュースはほぼ見ないので世間話にはほぼついていけませんが、笑
そういった意識的なインプットする情報の取捨選択によって、そこそこまともなアウトプットができるようになったと感じています^^
こういった、自分に影響を及ぼさない、あるいは自分の脳が汚染されそうな情報はすっぱりと切って、考えることをやめたんです。
時間を割くこと、考えることからやめたんです。
脳内汚染を防ぐにはインプットから

断言できますが、居酒屋で管をまくようなおっさんになりたくないなら、愚痴ばっかりいうような人間になりたくないのなら、そういったどーでもいい情報、人に対してやっかむような情報は見る、読む、とにかく触れる、そういったことは絶対にやめた方が良いです。
それが政治的なことなら話すだけムダですし、何も変わらないですから、そもそも話さないのが吉です。
考えるだけムダですし、自分も思考のリソースが割かれて、また外部刺激によって自分が変わって、望んだ自分から遠ざかってしまいます。
だから、望んだ自分になりたいなら、関係ないことは極限まで捨てて、考えることも極限まで捨てて、選別すべきなんです。
そうしない限り、周りの情報というのが射幸心をそそるというか、他人の不幸の味が蜜の味すぎて、ついつい摂取してしまって、世間にコントロールされたような、踊らされたまま生きることになってしまいます。
ですので、可能な限り極限まで捨てて、なりたい自分が本当に必要とする情報だけを摂取する。
インプットする。
自分にインプットする情報を選別する、それが自分の人生を生きるコツなんです。