自分を変えたいなら絶対に避けられない1つのコト

●自分を変えたいなら絶対に避けられない1つのコト

どうも、早乙女です。

今回は、自分を変えたいなら絶対に避けられない1つのコト、というテーマでお話しします。

音声はこちらから。

覚悟で自分を変えるのはハードモード

よくある自己啓発的な話で、「自分を変える方法」なんてものがあります。

特にこの本だという話ではないんですが、この手の話があまり好きではありません。

そういった本をパラパラめくると、大抵の場合はまとめると「どんな自分になりたいかを明確にして、どんな方法で変わるかを検討する」とかそういったことに集約されるからです。

…うーん、それって元に戻って結局無意味なんじゃないかなぁ、と思っています。

自分も、変えようと思って色々頑張ったことは色々あります。笑

そのために毎日これをしようと思って、計画立てて、実行したことも本に習ってあります。

でも結局、3日坊主で終わって元に戻ってしまいました。

例えば「食事に行った時、相手の食べる速度に合わせる」ことを頑張ろうとしたことがあります。

自分は学生の頃に早食いのクセがついてしまって、食べるのが早すぎるとたまーに言われます。笑

そして自分が食べ終わってしまっていて、相手が「食べるの遅くてゴメンナサイ…」的に食べていて、急かしてしまう感があるので、なるべくゆっくり食べたいなーと思っていました。

なので、「相手に合わせられる自分」を目指して自分の食事ではなくて「相手の食事に常に気を払う」ことをして相手に合わせて食事を進められるようになろう、と思いました。

そしてお察しの通り、結果は惨敗です。笑

相手の食事を見ているとむしろよだれが湧いてきて自分の食欲が増して、むしろ早く食べてしまっていました。笑

3回くらいは意識して遅らせようとしましたが、結局元の木阿弥でした^^;

ということがあって、食べる速度に関しては若干諦めています。笑

自分が変わろうと思って、「自分は本気で変わる覚悟をしました!」と言ったところで、変わるのはムリなんじゃないかと思っています。

「本気で変わる!」と覚悟をして何度も変わらない憂き目を見たからです^^;

本能に比べたら意識はちっぽけなもので、結局負けて本能、すなわち元の自分が抜きん出てきます。

早食いする自分に元通り、ってことですね。笑

自分を変えるためには、力が必要

とはいえ当たり前ですが自分は幼い頃のまま変わらないワケではなく、大きく変わってきた過程があります。

それは何か、、、と思いを巡らせてみると、「コレがあったから変わったのだろうな」というのが思い当たりました。

それは、「強制力」です。

例えば先程の学生の頃に早食いのクセが付いたといいましたが、逆に言えば元々食べるのが遅かったのに、食べるのが早く変わっています。

それはなぜか。

振り返ると、自分だけ食べるのが遅く、1人取り残されるのが嫌で、必死に早く食べるようになったんだなぁ、と思いました。笑

ゆっくり食べていて他の人はどこか遊びに行ってしまって、取り残されてしまう。

それが嫌で、だんだんと食べるスピードが速くなっていって、今のようにめちゃ早い状況になった、と思っています。笑

このような環境によって自分を変えるパターンが王道だと思いますが、他にもありました。

本質的には一緒なんですけれども、自分から動いて強制力に身を浸して、自分を変えるパターンです。

今の自分は発信側というか、主体的に動くようになったのも、昔の強制力が強かったからだと思えたんです。

やらなければならないことは、いつの間にかやっている

これも別の例を挙げると、大学生の頃の話ですが、やるべきは「合宿免許」と言われていました。

車の免許を取るために、2週間ちょっと田舎の教習所に行って習いにいくやつです。

こうすると合宿気分で免許がとれて、しかも近くの教習所に通うよりも安い、といういいことしかないので行くしかないという気分になっていました。

ただ1人で行くと寂しいですし、笑

複数人で参加した方が安いので、何人か誘っていくことにしました。

で。

一緒に行きたい有志は集まって、その免許合宿グループはできたものの、一向にそれから進みませんでした。

人は集まった。

グループはできた。

それから何も決まらない状況です^^;

で。

免許が取れなかったら損しかないと思っていたので、みんなを集めてどこに行くかから相談することにしました。

そして、みんなどこでもいいのか、何も決まりませんでした。

結局のところ、集まっても雑談で終わってしまっていて、あるいは「こうなるといいよね」みたいな希望で終わっていて、現実のプランには落とし込まれない状況だったんですね。

この時、正直焦りました。

このままならいけなくなる、と思っていたからです。

そして同時に、誰か――おそらく自分が決めて動かして行かなければ、このまま行かずに終わる、「いやぁ~行きたかったねぇ~」で終わってしまうんだろうなぁ、という現実に気づいたんです。

それから主体的に動いて、日程決めから場所決め、申込みまで一通りやりました。

こういった経験から、「グループになると”誰かがやってくれるだろう”、”選んだ責任を負いたくない”などの理由で、主体的に動く人がほとんどいなくなる」ということを学びました。

もちろん、サークルの班長とか、グループリーダーとか、なにがしかリーダーになったことがあるとか、グループを動かした経験がある人は、逆に積極的に回してくれるんだけれども、そうではない人は基本的に人任せになってしまう、という悲しい現実がよくわかってしまったんです。笑

自分から動き出さなければ、何も変わらないんだと実感できたんです^^;

それから、発信側というか、主体的に動くようになったと感じています。

周りに期待しても大したことにはならない

このときも、自分から「免許合宿に行くために決める」という強制力に自らからめとられて、動くことになりました。

自覚はなかったですが、「自分が動くしかない」、こういった強制力に身を任せていたんです。

そう考えると人はやっぱり軟弱で、変わりたいなら「強制力」という逃げ出せない環境からは避けられません。

「強制力」のために新しい環境へ挑戦しなければ自分は変えられないのだと実感したんです。

覚悟なんて意識的なもので、本能に比べればちっぽけなものです。

だから、「自分を変えたい」と思う人は、覚悟はいりません。

あってもいいんですが、そこまで重要ではありません。

それよりも、「自分が望んだ方向に変わるしかない、変わるように動くしかない強制力」に思い切って飛び込むことがまず第一歩です。

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