やればできる、の誰も語らない現実的なお話

●やればできる、の誰も語らない現実的なお話

どうも、早乙女です。

今回は、やればできる、の誰も語らない現実的なお話、というテーマでお話しします。

音声はこちらから。

やればできることには限りがある

「やり抜く力 Grit」という赤い本をご存知でしょうか?

まあ端的にこの本を一言で言うと、「やればできる」「やり続けた人が成功する」ということを語っている本です。

それは確かにその通りで、今成功している人はやり続けたからこそ成功した、というのはとても正しいと思います。

やらなかったら成功には近づかないので、まあ正しいです。

ただ、自分はこの本がかなりキライです。

「やればできる」はその通りだと思いますが、「やってもできない」ことは大量にあるからです。

例えば野球を草野球で楽しむレベルになるなら簡単にできると思います。

簡単な身体の動かし方とおそらくルールが分かれば、あとはテキトーにできるからですね。

でもイチローレベルのプロになろうと思うなら、何十年単位の時間がかかります。

しかも残念なことに、それだけ大量な時間が必要な前提で、必要なのは時間だけではありません。

良いコーチや指導者と巡り合えるかであったり、家族の理解を得られて協力してくれるか、良い指導を受けるために資金的な余裕があるか、またそれだけにとどまらず運や才能などあらゆる要素が関わってきます。

同じくらい時間をかけても、何十年と草野球をやっている人だっていますよね。

そういったことを考えず、「やればできる!」と考えるのは無邪気すぎる思考です^^;

また加えて、コントロールできる結果とコントロールできない結果があります。

それらを混同するとマズイです。

生存バイアスって強くありませんか?

「やり抜く力 Grit」に書かれている話に、「雪山で遭難したけれどもベースキャンプに戻れた2人の話が書かれています。

遭難してしまった、ヤバイ!

それから荷物を探ると地図が見つかって、ベースキャンプの位置が書いてあり、遭難したもののパニックにならず地図通りに進んだことでベースキャンプに辿りつくことができました。

しかし、仲間から不思議な顔をされます。

「この地図、全然違う山の地図だけど、どうやってたどり着いたんですか?」

地図が間違っていたのに、ベースキャンプに着けてしまったんですね。笑

地図を見つけたことで遭難しても諦めず、歩き続けてベースキャンプを探し続けること。

これはコントロール可能です。

しかし、ベースキャンプを見つけられるかはコントロールできません。

今回のお話でも、ベースキャンプとは真逆の方向に全力で行き、結局遭難し続けて亡くなってしまったなら、語られることのなかった話です。

生きていたからこそ美談で語られる、生存者バイアスですね。

生きて帰ろうと、何としても帰るんだと、歩き続けることはできますが、ベースキャンプを見つけることができるかはまた別の話で、下手をしたら見つかりませんでした。

にもかかわらず「頑張り続ければベースキャンプを見つけられるように、頑張れば結果もついてくるよね」というのがあまりに無責任に感じたんです。

頑張ったって、結果がついてこないことだって、普通にあります。

頑張れば成功するなら、この世のほとんどの人が成功しています。笑

まあ、本のあまり好きではないところを語ってもアレですが、このように「頑張ればできること」はコントロール可能でも、「それによって生み出される結果」はコントロール不可能なんです。

ですので、きっちり考えて欲しいことが、「本当にやればできるのか?」ということです。

失敗してもやる理由があるかを考えることから

例えば、副業に挑戦することはできます。

でも、副業で成功するかは行動の結果であって、コントロールできないんです。

だから、このコントロールできないことでは正しく成果が出る方法でやる必要があって、そこを間違うと「できること」をやり続けて結果が出ないことも十分にありうるんです。

だから、まず「これはやればできることなのか?」、あるいは結果なので「やってもできない可能性があるのか」を判断する必要があります。

すなわち、自分でコントロールできるかできないかを判断するってことです。

自分の求めていることは、やればできることなのか?

まずはそれを考えて、目標を決めた方がいいんじゃないかと思っています。

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