学生時代に求められた才能と、社会人に求められる才能は違います

●学生時代に求められた才能と、社会人に求められる才能は違います

どうも、早乙女です。

今回は、学生時代に求められた才能と、社会人に求められる才能は違います、というテーマでお話します。

音声はこちらから。

学生で成績が良いからといって社会人でも成績が良いとは限らない

最近読んだニュースで「東大女子の生きづらさの正体——「勉強できる」ことが職場でイジりの対象に」というものがありました。

簡単にいうと、東大というスゴイところ出身だから、就職先の会社がその子はできると、過剰に期待してしまいましたと。

そして学校と会社は全然違うので、東大卒の本人が学校とは違って思ったような成果を出せずに落ち込んでしまい、また周囲も「あの人は東大卒なのに…」と仕事が期待されているほどできないということをいじられて、ものすごいストレスを感じている、ということです。

自分はそういった目にあったことはないのでリアルには分かりませんが、そういうこともあるだろうな、という想像くらいはできます。

やっぱりですね、本当の辛さは本人にしか分からないと思うので、キツイところがあると思います。

いやまあですね、自分も「東京ゲフンゲフン大学」、略して「東大」なので、もうバッチリ分かりますけどね!

…はいまあ、という冗談はさておき、これって辛い現実だと思うんです。

学生時代は神童だと、あれほどもてはやされて、学内でも良い結果を残していたのに、会社に入った途端急に成果を出せなくなった、というのは普通にありえます。

自分も会社に入ってしばらくしてから気づいたのですが、学校と会社で求められる才能が180度違うので、学校で良い成績を出せた人が会社で良い成績を出せるとは限らないのは、当たり前のことだからです。

学生時代は「言われたことをやる人」が求められる

学生時代は、コミュ力はなくとも頭が良いというか、記憶力が良くて与えられた問題を解くことが求められます。

毎回の中間試験とか期末試験って、そういう感じですよね。

他にもみんなと同じことができる平均的な才能を求められて、また言われたことをそのまま実行に移すことが求められます。

俗にいう、「指示待ち人間」「言われたことをやる人」が求められているんです。

これとは逆に、頭が悪くてもコミュ力がある人とか、みんなと違ったことをする個人主義的な人、他を気にせず自分で思ったことを行動に移す人は嫌われるというか、つまはじきにされて評価されない傾向にあります。

こう、昼休みに工程でサッカーをする人よりも、教室で静かに本を読んでいる人の方が従順で真面目だと、学校からは評価されるイメージです。

まあ、モテだと逆になる気がしますが、それはさておきます。笑

で、指示待ち人間的な人が評価されますし、学校でもそういう教育をしているので、当たり前のように人の言うことを聞く指示待ち人間、平均的な人間が量産されます。

それが良い悪いは未来がどうなるか分からないので、何とも言えないですけれども、少なくとも残念なことが、会社に入ってからです。

会社で求められるのは、主体的に動ける人

会社で求められるのは指示待ち人間とか平均的な人間ではなく、真逆のユニークで自分発信で動ける人です。

会社で、「次何すればいいですか?」と新人なら仕事が分からないので普通ですが、5年も経った人が「次何すればいいですか?」っていう感じだと、とてつもなく「ヤベー」ことになります。笑

上の人が、さらに上の人に全部意見を聞いて、それをただやるだけって、マズイんじゃないかと思うんですね^^;

そのため、「学校であんなに良い成績をとっていたから会社でもスーパーサイヤ人並みに活躍してくれる!」という期待は、あまりに筋違いなんです。

会社と学校で求められる才能があまりに違うので、同じような評価ができないんですね。

特に学生時代、すなわち子どもの頃って何にも染まっていないので、大人の意見をうのみにしやすいです。

脳の奥底に子どもの頃の記憶がつまっていて、ベースになっているんです。

余談ですが、本当に意味がないと思うんですけれども、昔に覚えた円周率が、今でも忘れられません。笑

3.141592653589793238462643385024…ここまでですね。笑

全然思い出すタイミングはないんですけれども、ふときかれると言えてしまって、我ながら嫌だなぁ、と思っています。笑

とそれはさておき、子どもの頃の教育がベースになっていると、それが大人になってもベースになってしまって、大人になってもその傾向は維持されて、ずっと「指示待ち人間」になってしまうんです。

とはいえ、だから仕方ないんだ、ぼくは指示待ち人間でもいいでしょ、と諦めてはいけません。

これからも自立していきたいなら、まずは捨てること

まず、こうやって求められる才能がそもそも違うんだから、今まで教わったことを全部捨てる必要があります。

今までの価値観を、全部捨てるべきなんです。

と、言われていきなり全部捨てて新しい自分に生まれ変わることはできないと思うんで、少しずつ変えていくことがいいと思います。

例えば、自分から提案してみることです。

会社で自分から提案するのはおそらくなかなかにハードモードなので、友人内で提案してみるといいんじゃないかと思っています。

自分もですね、こうは言っていますが、昔は人から言われたことだけをやる指示待ち人間でしたが、自分から提案することを少しずつ増やしていきました。

例えば、スキーの企画ですね。

大学の頃入っていたサークルはテニスサークルでテニス合宿はしていましたが、それだけでした。

そのため、もう1つ何かあってもいいんじゃないかなぁと思ったことと、自分からいい機会だし提案してみようという実益も兼ねてスキーの合宿を始めて見たんです。

そうやってみると自分から提案することの楽しさ、現実的には圧倒的に難しいことがありはしましたが、それでも企画することの楽しさに覚醒して、いろんなことを一緒にやるようになりました。笑

自分の性格も内向きな感じから、ちょっとは外交的というか、こうして発信するようにもなったので、自分が変わったとすごく思います。

自分から色々挑戦して、もう失敗して転びまくりもしましたけれども、どこかしらコミュニティなどでは一定のポジションが確立するようになっていますし、何かと”目立つ”存在になりました。

そもそも自分から動くことを決めていれば、他の人からその時点で抜きん出ますし、絶対にオススメです。

ハードルは高いと思いますが、今まで正しいと思っていた価値観を捨てるために、「今度ランチでも行かない?」と友人を誘うことから、自分の価値観をちょっとずつちょっとずつ壊していって、自分発信の行動をしてみるといいんじゃないかと思います。

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