知識デブになると傲岸不遜になりやすいから、実践し相手を受け入れる器の大きさを持つ

●知識デブになると傲岸不遜になりやすいから、実践し相手を受け入れる器の大きさを持つ

どうも、早乙女です。

今回は、知識デブになると傲岸不遜になりやすいから、実践して経験し器を大きくする、というテーマでお話します。

音声はこちらから。

自分が正しいと強要する人たち

ヤフー知恵袋など、誰かの質問に対して回答するタイプのSNSはやったことがありますか?

自分はヤフー知恵袋ではありませんがやったことがあって、質問に対して回答して、役に立ちました、いいねなど、あとはコメントをもらえると結構嬉しかったです。

ただ同時にめんどくさいなぁ、と思ったのが”ごく一部”のヤベー人からの攻撃です。

糖質制限の危険性について語ったら、「5年間完全肉食で健康状態がめっちゃ良くなった、だからお前はおかしい」という人から延々と絡まれました。

別に5年間完全肉食で健康状態がめっちゃ良くなった、それ自体はいいんですけれども、他人に強要するのは大丈夫かよ、ってずっと思っていました。

カロリーという計算方法はおかしい、腸の長さから考えて人間は肉食動物だ、俺はこんなに元気になった、米を食べ続けている村は寿命が短い、昔からの狩猟民族であるイヌイット族は肉しか食べていない、、、などなど、自分が1に対して100くらい言ってきていて、言いたい放題でした。

反論を読んでいて、正直怒りながらだったんであんまり覚えてはいないんですけれども、自分は肉食で良くなった、以外は全部本の受け売りだったんですね。笑

夏井睦さんの「炭水化物は人類を滅ぼす」っていう本からそのままパクッて書いていて、「あ、この人それ以外に言えることがないんだなぁ」とちょっと呆れました。

しかも同じく炭水化物に警鐘を鳴らしている、糖質制限を進めている人として、江部康二先生などもいらっしゃるんですが、そういった人の発言ですら拒否しているという、なんでしょう、誰も守る味方がいないみたいな状況になっていて、本当にこの人大丈夫かなぁ、と思っていました。

とはいえですね、こういうことが悪いとは思いますが、笑

知識をインプットすることそれ自体はとても大切です。

とても大切だとは思いますが、知識をインプットしただけで終わってしまえば知識デブになって、役に立たない知識になります。

超個人的なイメージで申し訳ないかもしれないんですが傲岸不遜、こんなに知っている自分は正しい! みたいに振舞われるイメージです。

さっきの人もですね、肉食生活をしている点で実践はしているんですけれども、理論の方がめちゃくちゃで、本に書かれている内容をうのみにして、たとえば他の本を読んでそれは本当に正しいのか、絶対に矛盾することは出てくると思うので、といった検証とか考察をせず、あるいは論文として書かれているかなどの一切の確認なくされているのが、姿勢として良くないなぁと感じました。

自分の感情的正しさ、伝統的正しさを優先するか

例えばカロリーという計算方法はおかしいといいますが、ダイエットでは有名な話で、1日あたり500kcal減らすと月2kgほど減るというのは研究でも実証されています。

それが間違いだと言い張るということは個人の意見が今までの膨大な実証実験での結果は全て嘘だったということになって、どこからどこまで敵に回したいのかよく考えた方がいいんじゃないかと思いました。笑

米を食べ続けている村は寿命が短いということは、端的に米が悪いから寿命が短いということを指し示しません。

米を食べているから寿命が短いんだみたいに、米が悪いんだみたいに言っているんですけれども、本当にそれは極端だと思うんですね。

自分は炭水化物量が多すぎてそうなっていると考えて、タンパク質をほぼ摂っていないからだと考えています。

特に年齢を重ねると食欲もあまり湧かず食事量が減って、肉が食べられない、と言うケースがよくあります。

肉が食べられないということはたんぱく質であったり脂質といった三大栄養素が欠けてしまうということです。

だからですね、三大栄養素がそもそも取れない、身体のベースとなる栄養が摂れていないから寿命が短くなってしまうと考えています。

別に炭水化物を摂っているから悪い、とは違いますよね。

そういった、別口からの反論も考えず、ただ否定するだけでこちらの意見は一切聞かないというのは、ただの迷惑なうるさいおっさんだと思うんです。

肉食生活は極端です。

イヌイット族は肉食だ、ということに関しても、割合は少ないものの海藻などを食べて炭水化物を摂取していますし、同じ昔から続く狩猟民族として、キタバ族は高炭水化物で過ごしていますし、7割くらいが炭水化物と聞きますね、そこまでいかなくともハッツァ族やサン族といった人たちも炭水化物と肉の割合は半々くらいです。

といったように、いくらでも反論はあるんですね。

加えて本人が完全肉食で健康になりました! といいつつも、それはその人の話です。

全体の傾向とその人の結果は全然違いますよね?笑

ひろゆき的にいうなら、それってあなたの感想ですよね、ってことですね。笑

たとえばある人が「毎日コーラを飲んで健康になりました!」といったとして、本当にあなたは毎日健康のためにコーラを飲んで元気になると思いますか?

その人にとってはコーラは聖水、神の飲み物に思えるかもしれませんが、一般的に違うということは大量にあるんです。

だから研究で大規模に行われているものですし、また条件を変えて行う二重盲検比較試験などが行われている訳です。

プラシーボ効果も除かないと、これが本当に効果があるのかが分からないといったことがあるので、そういった条件をきちんとしないと、正確な測定はできないんですね。

肉食の人も、「肉食は素晴らしい!」というプラシーボが働いたから、もしかしたら健康状態が良くなっているかもしれない、ということが言えるんです。

個人の意見はあくまで個人の意見で、全体に適応できるとは限らないんです。

自分が正しいと思いつつ、人の意見を受け入れられる人になる

他にもですね、腸内細菌について語ったら、「いいやそれは違う」と腸内環境が良ければ自然とスリムになり、メンタルも落ち着くと自分と同じことを言っているはずなのに、語っていた本人が「俺の方が正しいんだ!」と仲間のはずなのになぜかイライラしながらこっちに反論していて、しかもプロフィール画像がとても恰幅が良くて、本当に腸内細菌が良い方なのか、何だろうこの人と自己矛盾の固まりな人でした。笑

こういった似たような経験があって、知識だけでマウントをとる人にはまともな人がいないんじゃないかと思っています。

知識ってあるだけだと当たり前ですが何の役にも立ちません。

実践することで役立ちます。

近くのスーパーでねぎが安売りで売っています、という知識があったとして、そのスーパーに行かなかったら何の役にも立ちませんよね。笑

もちろん、好奇心のために知りたいと、インプットするならいいんですが、マウントはご勘弁です^^;

そうやってインプットした知識を実践するとか、あるいは同じテーマの他の本、反論している本も読んで、矛盾はあるのでどういうことなのか、どちらがより正しそうなのかか、そういった過程を乗り越えて、使える知識になります。

やっぱり、他の意見の違う本とか、想定していることに対する反対意見を読むと、単純に、「この本は絶対違う! 頭おかしいだろ!」って本を燃やすんじゃなくて、読んだ上で、それを乗り越えることで、自分と言う器が大きくなります。

あるいは実践することで理論とは違う部分に気づいたり、あるいは他の本の正当性を踏まえて、自分の意見が絶対に正しいなんてことはいえず、自分の中で確からしい意見を持ちつつ他の正しそうな意見を検討する、といった姿勢が一番いいんじゃないかと思います。

当たり前ですが人はそれぞれ違いますし、前提条件や環境が異なります。

そういった前提条件の違いで正しいと思っていたことが、その人に対しては全然当てはまらないことなんてざらにあって、自分の想定は正しくないかもしれない、というのがデフォルトになるんです。

間違ってはいないけれども、もっと正しい意見があるかもしれない。

自分が間違っている、っていうのは良くないですね。笑

まあ自分も昔は「自分が絶対に正しい!」と思い込んで同じミスをやらかしたので、本当にマウントをとる姿勢とか、相手に食ってかかる、といったことはしないように気をつけています。笑

そして自分の傲慢さに気づくたびに、恥ずかしくもなってもっと広い心を持つようになったと思っています。笑

格好良く言うとですね、器が大きくなったと思っています。

是非とも、知識だけを学ぶだけではなくて、実践して、確からしい生の経験則的なデータを身に着けて、器を大きくするといいんじゃないかと思っています。

Follow me!

コメントを残す