成功のためには鬼に襲撃されて全集中の呼吸ができるようになって鬼殺隊に入るイベントが必要なんじゃないか
●成功のためには鬼に襲撃されて全集中の呼吸ができるようになって鬼殺隊に入るイベントが必要なんじゃないか
どうも、早乙女です。
今回は、成功のためには鬼に襲撃されて全集中の呼吸ができるようになって鬼殺隊に入るイベントが必要なんじゃないか、というテーマでお話します。
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安定した未来を想像すると、びっくりするほど平和である

ふと、今の自分の状況を振り返ってみると、我ながら遠いところに来たな、と思います。
昔はしがない会社員で、このままいけばいま見ている先輩や上司と同じような”死んだ生活”を送っていたと思います。
しかし、会社での慢性的に続く絶望的な出来事があって、その道から外れる決意をしました。
ただでさえ残業続きで辛かったのにですね、人が減っているのに仕事が増え続けて、どうかしているんじゃないかと思える状況でした。
それからですね、人間関係がガラリと変わって、月200万円の自動収入で生きている人だったりオーストラリアと福岡の2拠点に家を持つような人に出会って、趣味であったり人間関係がMAX、最高に充実しているような人たちと出会って、「自分もこうなりたい」と思って副業の道へと走り出しました。
そして今に至る、というざっくりとした道のりです。
ここで考えたのが、会社で辛い思いをせず、毎日定時帰りで給与もかなり良い超ホワイト企業に勤めていたとしたら、今と同じように副業をしていたか、ということです。
考えてみれば、しない気がしました。
早く帰れるしお金もある、そうなったら現状に満足して、副業という、働いている時間に加えてさらに時間を捧げて、さらに働くという苦行をしなかったと思うんです。
ここでタイトルを回収するんですが、例えば鬼滅の刃では、主人公の竈門炭治郎くんは鬼に家族を殺さてれ、禰豆子ちゃんを守るため、また鬼から人々を守るために剣技を磨いたり全集中の呼吸ができるようになったり、鬼殺隊に入っています。
ここでもし、鬼に家族を殺されることがなかったら、おそらく炭治郎くんは鬼殺隊に入ることもなく炭売りとして家族と平和に過ごしていたんじゃないかと思うんです。
鬼滅の刃のストーリーが成り立たない感じになると思うんですね。笑
だってまぁ、鬼殺隊なんて鬼と戦って死亡率、殉職率が高すぎるアブナイところに入る理由もありませんからね。
たとえですね、「人を守るため」という理由があったとしても、素直に逃げると思うんです。
だってその方が安全じゃないですか。笑
でも、鬼に家族を殺されて、絶望するほどひどい事態になったからこそ、平和な日常では考えられない選択肢をとって、また現状からは考えられない未来になったんです。
そのたった1つの絶望的な事態によって、人生が大きく変わったんです。
絶望することが人生を変えるきっかけになる

これってフツーの今を生きる人でも同じだと思うんです。
平和で、そこそこ満たされた人生なら何かを変えようともしないし、辛いことをしようとは思いません。
まさに自分たちが今、必死に剣技を磨いて、鬼じゃないにしても危ない人たちから守る、みたいなことはしないと思うんですよ。
けれども会社で死にそうになるとか、鬱になってしまったとか、とっても辛い出来事があると、現状を変えざるをえないことになります。
そしてそこで世の中のせいにするとか、他人のあの人のせいにする、といったことで責任逃れ、他人が悪いから自分が悪くなってしまうのはしょうがない、とあきらめてしまう。
のではなくて、どうにか現状を良くしたい、この状況を乗り越えたいと頑張り続ければ、気がついたら昔よりもとても良い結果に終わることになると思うんです。
自分もですね、会社が辛すぎて、というマイナスの成分があったからこそ、今この場にいるのだと思います。
よく、「ピンチをチャンスに変えろ」なんて言いますが、「ピンチという窮地に陥ったなら、チャンスをつかむしかない状況に入れ」ってことなんじゃないかと解釈を変えました。笑
別段こんな大きなことじゃなくても、誰しも1回くらいは経験したことがあるんじゃないかと思うんです。
例えば自分なら大学生時代に塾講師のアルバイトをしていて、生徒、お子さんの成績が上がらなすぎてお母さまからクレームが来た時、どうすればこの場を解決できるか、逃れられるか、必死に考えて教え方を変えたこともありました。
自分が教えやすいように教えるんじゃなくて、やっぱり子供の視点に合わせるだとか、女の子ならプリキュアとか、カセキホリダーとかゲームの話とか、そういう話を取り入れて、授業に集中してもらうとか、色々やることで、クレームが来るような状況からは改善できた、ということがあるったんですね。
他にも友人の例ではありますが、居酒屋でバイトしていて、その場所が花火大会の場所だったそうで、花火大会の日は案の定死ぬほど人が入ったそうです。
普段は普通の人数なのに、花火大会の日だけ、パーンと、パルス波、って言って分かるかはアレですが、東京タワーみたいにこの日だけ急激に人が入って、明らかにキャパオーバーになって、それでも注文をさばかなければならないと、お店として運営しなければならないという状況に陥ったらしいんですね。
そうなったらとにかく注文を速めるしかないと、何がしかの工夫を思いついて、その場でやったんですね。
注文を紙に書いてもらって置いてもらうシステムをその場で編み出して、注文が決まったら店員さんが通るところに置いてもらうとか、注文した飲み物は全て入口付近に置くなどして徹底して時短を実行したそうなんですね。
そうやっていつも以上に効率がめちゃくちゃ良くなって、捌き切ったことがあったそうです。
といったように、ピンチはピンチだと諦める、さっきの居酒屋の例なら、「こんなに人がいたって何もできねーよ」って諦めたら、結局何も向上せずに、ただただ忙しくて終わり、あるいはお客さんからクレームがめっちゃきて終わり、という状況で終わってしまうんです。
ですので、ピンチだと諦めるのではなくて「どうすればこの状況を切り抜けられるか」、もちろん完全に乗り切れなくてもいいんで、ちょっとでも良い状況に変えられるか、とチャンスに変えることが必要になります。
また同時に、チャンスはピンチに陥ることで生み出されるという、逆説的な話でもあると思うんです。笑
ピンチはアイデアの源泉である

何もないときにチャンスが出てくることは滅多にないと思うんですね。
自分だけだった場合は、です。
他の人がチャンスを持ってきてくれるならあると思うんですけれども、自分から生み出すとなった場合、ピンチに入らないといけないんじゃないかと思うんですね。
ってことは、チャンスのためにはピンチが必要と、めっちゃ辛いことなんですね。笑
でも、鬼滅の刃なら鬼に襲撃されたからこそ、全集中の呼吸ができるようになって鬼殺隊に入って人を守るようになって最終的には色々よくなった、、、とネタバレになるので何も言いませんが、とってもいいこともありました。
めでたしめでたし、ですね。
リアルな人生でも、とても辛いイベントに遭遇してこそ人生を変えられるチャンスになるのだと、そうやってちょーポジティブに捉えて、大きく自分を変えられるチャンスだ、と考えるといいんじゃないかと思ったんです。
もちろんですね、自分からピンチに飛び込むべき、という超アグレッシブな話ではありませんが、もし今何かに辛いと感じているなら、「カッコイイ最高の自分になるチャンス!」とポジティブに捉えて現状を打開するための手段を考えて実行に移してもいいんじゃないかと思いました。