お金を使わない代わりに失うものと得られるもの
●お金を使わない代わりに失うものと得られるもの
どうも、早乙女です。
今回は、お金を使わない代わりに失うものと得られるもの、というお話です。
音声はこちらから。
貯金一択はつまらなくないか?

先日、とある先輩起業家の方とスパ懇親会をしました。笑
そして夕食には回らない寿司を食べたり、一貫だけでくる寿司に戦々恐々としながら美味しく頂いた日にもなりました。
どれも体験したことがないことばかりで、本当に刺激的な1日になりました。
話は変わりましてちょっといやらしいんですが、福岡の旅程、3日かけたんですけれども、どれだけの費用がかかったかを考えると、ちょっと涙が出そうな金額になっていました。笑
自分が長野へ旅行へ行ったときの倍かかっていたので、やっぱり成功している人は違うなぁ、とちょっと思ったものです。笑
というと誤解されてしまいそうなんですが、金銭的に痛いとは思いましたが、全く後悔はしていません。
むしろよかったと思っています。
そのお金を使ったことで今回の体験ができたことであって、自分1人では会えなかった人とご縁ができたこと、というのは金額以上の価値をもたらしていると考えるからです。
よく会社員で働いている人にありがちなこと、自分の友人なんですけれども、給料の使い道を貯金一択で考えるケースがあります。
給料が入ってきて、家賃とか生活のランニングコスト分を引いたら、後は全部貯金! っていうケースです。
給料日が来たら贅沢しないで貯金だ!
みたいな感じです。
いえ別段浪費をしてほしいとかそういうことではないんですけれども、貯めるしかしなくていいの? と思ってしまうんです。
お金は得られるけれども、体験は得られるとは限らない

逆に自分が旅行とか懇親会に結構お金を使っているので、こういったことにお金を使っていると「そんなんで大丈夫かよ~」といわれてしまうので、そこそこ複雑です。
確かに、その場だけを考えればマイナスです。
新しいビジネスが生まれたわけでもありませんし、利益が出たわけでもありません。
旅行に至っては趣味なので、利益的に得られるものなんて絶対ありません。笑
懇親会でも5000円とかかかるかもしれないんですけれども、それと同じ量を家でやろうとしたら、1000円も行かないんじゃないかと思います。
そこだけ考えると、やっぱりもったいないですよね。
ですがですね、そんな短期的なことではなくて、こうスピリチュアルな感じですが縁が繋がったことや成功する臨場感が感じられて、目に見えないけれども自分の中に大きなエネルギーが生まれて、大きな推進力になったと感じています。
これは愛と同じように、お金に換算できない価値です。
それをすげー嫌いな人なんですけれども、プライスレス、すなわち0円じゃねーかと言ってあざけわらう人もいますが、本人はどれだけコスパの良い生活を送っているのか見てみたいものですね。笑
自分はそこに価値を感じたからこそ行ったんです。
それは自分にとってプライスレス、お金には換算できないほど莫大な価値が眠っているからこそ、それを選択したんです。
また自分は趣味で旅行に行きます。
3日で10万円くらい飛ぶのもあって、その割に何も残りません。
本当にですね、プライスレスな思い出しか残りません。笑
けれども、その土地にしかないものを感じたりとか、見てみたい風景があったりとか、ご当地物を食べたかったりとか、そこでしか味わえないことがあるからこそ行くんです。
老後のための貯金は、老後に何をしたいのか?

その自分の逆の考え方として、老後のために貯金をする、があります。
正直ですね、自分とそういう人は息が合わなくて、自分からすると何を目的に貯金しているのかが理解できないんですね。
老後に1億とか莫大なお金があったとして、何をしたいのかが分からないんですね。
年をとれば老化には逆らえず、気力も落ちます。
たとえ30代、40代のときに全国を回りたいと思っていても、結局のところ体力的な面が邪魔をして、存分に楽しめません。
若い今を我慢に費やして老後に遊ぶとしても、老後には存分に楽しめないと思うんです。
交友関係は変わっているでしょうし、下手したら昔ながらの友人はほとんどいない、で新しい友人はいるけれども一緒に旅行に行くほどではない、となったら結局1人とか夫婦で行くだけとかで、そこまで楽しくない状況だと想像しています。
とある40歳で独立して古着屋さんを始めた方がいらっしゃんたんですが、60歳くらいでやめてしまったという話を聞いたことがあります。
赤字になっていたとかそういうことではなく、メンタル面なんです。
50歳頃までは若い人には負けないと自負があったそうですが、60歳の頃には20歳くらい年下40歳の人に勝てなくなり、インスタとか新しいことへの吸収力が全然できないとか瞬発力で負けてしまうことが増えて、老いによる敗北を認めて廃業してしまったそうです。
若い今、現状を考えていると理解できないかもしれませんが、年をとるということは想定以上にダメージで、動く気力が失われていくと思っています。
そんな状態でお金が余ったとして、何に使うんだろう?
で結局生涯でお金を使いきれずに余らせるとか、あるいはその段階になってもっとお金を使っておけばよかった、もっと楽しいことに時間を使っておけばよかったってなる後悔があると感じてしまうんです。
だからこそ自分は「楽しめること」や「価値あること」に積極的にお金を使っています。
今思っている「楽しめること」や「価値あること」というのは、将来得られるとは限らない、その場限りのチャンスでもあるので、なるべくいく、ただもちろん生活するための最低限の貯蓄は残しつつお金を使っています。
お金は使うことでお金としての価値を果たせる

経済だってそうじゃないですか。
お金を使うから回るんです。
使わなかったらどんどん停滞してしまいます。
また逆に考えてですね、お金を使わないことで、失ったものも考えるべきだと思うんです。
お金を払わなかったことで、懇親会で濃い交流ができなかった。
旅行に行かなかったことで、そこでしか楽しめない最高のことがあったのに、思い出を失った。
これは、お金より圧倒的に高い価値を失っていると思うんです。
例えば自分は大学時代のサークルで合宿とかを企画して色々やったりするんですけれども、毎年やっているんですけれども、毎年毎年最高のものにしている、そういう自負でやっています。
テニスやったりとか、バーベキューでめっちゃいいお肉を仕入れて焼いたりとか、サザエ焼いたりとか、ボードゲームとかを夜更け頃までやったりとか、とにかくそこでしか楽しめない、その場限りの最高の時間を過ごすために、結構全力をかけているんですね。
正直、これに参加しないなんて、自分の中ではありえないくらい本気で開催している、ってところがあるんです。
なのに、お金がもったいない、って言われると、自分としてはすごく残念になってしまいますし、あなたの人生そんなんでいいの? って思ってしまうんです。
だからこそ自分はそう考えて、高いことにも自分がそれってすごいとか、やってみたいとかなら当然のようにお金は払いますし、むしろいい判断をしたと思っています。
将来自分が楽できているのは、自分が今自己投資したからだぜ! ってちょっと震えた時には言い聞かせています。笑
「お金はとっておかなければならない」と頑なに信じるのではなく、お金というコストの代わりに失うもの・で得られるものが実は本当にお金だけということを考えつつ、未来にどうありたいかも考えてお金を使うといいんじゃないかなぁと思っています。