心を尽くし、言葉を通わせれば誰とでも分かり合えるという幻想~解決編~
●心を尽くし、言葉を通わせれば誰とでも分かり合えるという幻想~解決編~
どうも、早乙女です。
今回は、心を尽くし、言葉を通わせれば誰とでも分かり合えるという幻想~解決編~、というテーマでお話します。
音声はこちらから。
人はネガティブ意見にフォーカスする

前回からの続き物です。
前回は言葉を尽くしても通じない残念な人がいる話をしました。
ハンドメイド商品などを売っていると、作るために今まで失敗した作品や時間、それを乗り越えてキレイな作品ができているのに、今まで築いたバックグラウンドを全無視して原価で販売を求める人とか。
同じく、その今までの積み重ねについて語っても、理解できない、またどのような苦労をしたのか想像ができないような人の心が理解できない人とか。
こういった、ヤベー人は確率の問題なのかもしれませんが、そこそこいます。
これを無視できればいいのですが、そして人間の脳の特性上、ネガティブにフォーカスするようになっている。
たとえ全体の99%が肯定してくれて、1%とかほんの少数のネガティブな意見でも、1%にフォーカスしてしまって病んでしまうことがある。
なんでみんな私のことを理解してくれないんだろう、こんなに低評価されるんだろう、と99%の人はいい、と言ってくれているはずなのに、なぜか1%が残ってしまう。
ネガティブな意見は、その人に残ってしまう。
刺さってしまう。
というお話でした。
まとめると、おかしな意見というのが一定数存在している。
そして、ネガティブな意見は存在するだけで危ない。
ということをお話しました。
そして今回、そういった意見と遭遇した場合に、どう対処すべきか、自分なりの解決策をお話したいと思います。
ネガティブ意見と遭遇したとき、どうすべき?

結論としては誰にでも効果のある万能な解決策ではないですが、「ネガティブな意見を流せるスタンスを身に付ける」ことです。
これ、数値で表せる定量的なものではなく、かつこれだけやればこうなれると明確な基準はありませんが、「自分の考え方を変える」ことが解決策でした。
ネガティブな意見は、これからも遭遇し続けますし、なくなることはありません。
むしろコロナなどでオンライン化が進み、相手の顔が見えなくなっているからなのか、その場限りの関係になることが増えるからか、人と密に接する機会が減って、対人コミュニケーション能力が落ちているからなのか、本人にとって図らずも相手のことを考えないケースが増えていることを思うと、むしろこういったトラブルは増えてくると思います。
となると、やはりヤバイ発信側はなくならない、むしろ増える可能性があるので、受け側である”自分”を変えるしかないと思っています。
自分の思考のクセを変えることです。
まっとうなネガティブな意見は対応するけれども、理不尽な心無い意見は捨てること。
そして思考の奥底に沈めて、スッパリ忘れられる自分になることです。
自分も昔は、ネガティブな意見を聞くとかなり落ち込むタイプでした。
99%は自分のせいじゃないんですが、「届いた荷物を運んでいて想定より重く腰をやってしまった」と★1!
とついたことがありました。
これ自分がつけたとかそういうことではなく、商品を受け取った人です。笑
これ、どうしようもないとは思っていましたが、それでも当時の自分は紙メンタルだったので、相手に悪いことしたなぁ、と思って落ち込んでいました。
今では逆にスッと流せますが。笑
そんなネガティブな意見が嫌で一時期何もしない方がいいんじゃないかな、とも思っていました。
本当に、ネガティブな意見は「相手が明らかに悪いんじゃないか?」と思えることでも、悪いことをガッといわれると、ちょっと、いやかなり胸がじくじくして痛いんですね。
しかもたまにふと思い出して、嫌でした。
それほど、ネガティブな意見は刺さっていました。
悪口は、言われるだけで心が痛みます。
世の中の解決策は自分に使えるとは限らない

それでも続けようと決心して、理不尽な低評価レビューでも心を痛めない強靭なメンタルを得るにはどうすればいいのか、色々と本を読んだり情報収集をして解決を目指しました。
本から、「話せばわかる」とか「ロジックが正しければ相手は必ず納得する」とかコンサルの本ですね、とか「適切なコミュニケーションが重要」など色々ありましたが、結局のところ全部役に立ちませんでした。
確かに、正論としては正しいです。
ただ現実としてはあり得ません。
そりゃあ本当にロジックが正しければ相手は必ず納得するかもしれませんが、ロジックって人それぞれ持っていて、「届いた荷物が重いとかありえない!」というロジックだったら、どうしようもないってことは普通にあります。
前提で言ったように、そもそも言葉が通じない人も一定数いれば分かり合えませんし、やっぱりお互いのコミュニケーションが成り立たないんですね。
「俺は急いで買ったんだから今日中に届けろ!」とamazon primeもびっくりな要求も、この時点でもう無理です。
それからネットで情報収集をして、ツイッターとかで、”「パワハラした上司も、今頃アイス食ってるよ」って言われて心がスッと軽くなりました”というツイートも見かけたことがあります。
確かに、言った人は忘れていると。
ただ、言われた人は良く覚えているんですよね。
言った人は忘れているんだから、気にしたところでしょうがないでしょ、とその通りだと思ってそのように考えてみましたんですけれども、いざ心無い低評価がついたとき、そう考えてみてもやっぱりムリでした。
頭の中でそう考えても、全然メンタルのダメージが収まらないんですね。
こう、コップに水が半分入っている状態で、どう考えるかが重要、って話があるじゃないですか。
「コップに水が半分しか入っていない」と考えるか、「コップに水が半分も入っている」と考えるかでネガティブかポジティブかが別れるなんて話がありますけれども、コップに半分も水がある、と考えたところで無理矢理考えている感じがあって、自分のネガティブさというか、思考のクセって変わらないんですよね。
自分がポジティブになりたい! ということでコップに水が半分も入っている、と思い続けたところで、うわー、びみょーだよなー、と心の底で思ってしまいます。
コップに水が半分も入っていると考えていても、低評価が付いたときは、「あんなこと言われている、、、ウッ」っと思う時があるんですね。
頭の理性的な部分というより、本能的な部分が痛くて、怖がっている感じなんです。
「そんな人と関わるなんて時間のムダ!」とか時間術的な本とか、「改善できることを考える」などなど様々な方法を試しましたが、自分には合いませんでした。
やっぱり正論として正しいんですけれども、心の問題は人それぞれで、難しいものだと感じています。
いろいろとあって今となっては心無い低評価に対して思うことがなくなったのですが、それはなぜかということを考えてみました。
やっぱり、慣れるが一番の解決策

世の中、理不尽な心無い低評価は止められません。
なので、その評価がなくなった訳ではありません。
何度も何度も心無い低評価を見て、少し低評価に慣れて、落ち着いて低評価を見返すことができるようになって、分別できるようになったから。
だと思っています。
これはこちらが行った不手際の結果出たネガティブな意見だ、じゃあ後で考えよう。
これは理不尽なネガティブ意見だ、燃えるゴミに出そう。
そうして、心の中の分別が上手くなったからじゃないかと思っています。
低評価が来ると、文章を大して読まずに「うわっ、とにかく嫌なものがきた…!」と思ってしまっていたんですね。
なので、その文章を冷静に読んでみて、これは正当か、不当かをよく考えることにしました。
確かに始めは、見て、「嫌だ!」と思ったので、一回画面を閉じて、30分とか1時間とかちょっと落ち着いてから、レビューを見直して、「なるほど、この人は言っていることがおかしい」とするか、「確かに、これは良くなかったよな」と反省するか。
2つをしっかり分けるようにしたんですね。
そうやっていって、考える必要のないものは燃えるゴミに出した意見は頭の中で燃やして、もはや存在亡き者として扱われるようになりました。
思い出すことが困難になっています。笑
そのため必要なことは、ネガティブな意見を感情でガッと言葉通り受け止めるのではなく、いったん自分の中に受け止める心を持つ。
余裕を持つことが重要ではないかと考えています。
経験としてですけど。
一旦自分の中で受け止めることができれば冷静な判断が下せるので、理不尽なものはムリでしょ、とゴミ箱フォルダに入れて忘れられます。
自分の中で受け止めるのもコツがあって、相手の文章を一言一句よく読むことです。
うわっ、とネガティブな意見をそのまま受け入れるのは文章を流し読みしてしまうときで、このときは相手の感情をそのまま受け取ってしまいます。
やはり感情的に読むと、感情的に受け取って、悪いことしか起こらないんですね。
そのため、冷静になって文章を読むことで、理性的な脳を働かせて、冷静に受け取る。
まず文章を感情的にキャッチしないこと。
すると理性的な判断をすると理性的に受け止められて、自分の中できちんと分別でき、メンタルに良い処理ができます。
というのが、自分の経験なりの解決策でした。