心を尽くし、言葉を通わせれば誰とでも分かり合えるという幻想~問題編~

●心を尽くし、言葉を通わせれば誰とでも分かり合えるという幻想~問題編~

どうも、早乙女です。

今回は、心を尽くし、言葉を通わせれば誰とでも分かり合えるという幻想~問題編~、というテーマでお話します。

音声はこちらから。

世の中には常識が通じない人がいる

自分の枠内に閉じていると忘れてしまいがちなんですけれども、世の中には「ヤベー人」がそこそこいます。

その中で良く見かけることが、ハンドメイド系で安く買いたたかれているケースです。

例えば、「材料費かかってないですよね?」

「つなげただけですよね?」

とか言って、定価の3分の1とか、意味の分からない値下げをする人が結構いるように思います。

材料費が100円だとして、1200円で販売するのはぼったくりだと。

中傷、人を傷つけるレベルの発言だし、頭おかしいんじゃないかと思うんですけれども、それでも、説得して、いやいや作るのに時間がかかっていますとか、これを作るために今まで苦労したんですよというと、

「お金にこだわるなんて汚い」

「人に売れるだけで幸せじゃないですか?」

みたいな本当に狂ってるとしか思えない、そんなヤベー発言が飛び交う話題を見かけます。

人の心がないんじゃないかと思ってます^^;

最近本当にどうかしていると思うのが、目に見えないものはない、としている無知さですね。

見えていることしか見ない人が多い

作るために今まで失敗した作品や時間、それを作るために何度も何度も失敗しているケースがほとんどだと思うんです。

そういった失敗を乗り越えてキレイな作品ができているのに、今まで築いたバックグラウンドを全無視するんですよね。

なら材料調達して自分でやれよ、って思うんですけどね。笑

冗談のように思えるかもしれませんが、自分で商品を売るようになると、本当によく遭遇します。

ポッポなみに良く見ます。

こういう人を見かけると、基本的にやった方がいいのは距離を取ることなので、即座に距離をとっています。

こういった「コミュニケーションが通じない人・常識が通用しない人」とはやり取りするだけ疲れるので、関わらないが吉だと思っているからです。

世の中には、残念なほど正しいことを言っても、コミュニケーションが通じない人・常識が通用しない人は確実にいます。

そんな中でも自分にとって1つ幸運だったのは、大学生の頃に、人狼でいう狂人レベルの人がいたことです。

本当にヤバくてですね、エアガンを持ち歩くとか、自転車がなければ放置自転車のカギを開ければいいじゃないとピッキング用品を持ち歩くとか、県道で上半身裸で寝るチャレンジをしたりとか、とにかくヤバイ奴でした。

そういう人って話すと日本語が通じなくて、話すだけで疲れるんですね。

嘘みたいに思えるかもしれませんが、全部本当です。

本当に、言葉が通じなくて、無理なんです。

で、そういう経験があったこともあって、「自分が丁寧に説明しても相手に伝わらないことは普通にある」ことはわりかしわかっていたことでした。

他にも、昔教材を売っていたことがありました。

そのとき、タイトルに「初心者用」と書いてあるのにレビューで「あまりに簡単すぎる。もっと中級者向けの内容が欲しかった」と★1が付いたこともありました。

…いや、タイトル読んでくださいよ。。。というのが本音ですが、正直それをムリな人に求めても、やっぱりムリなものはムリなんです。

といった経験をしてきたので、話せばわかる、っていうのは幻想だと思っています。

この「丁寧に話しても分からない人がいる」「人の心が理解できない人がいる」っていうのは、自分で物を売るとか、人生を切り拓こうと思っている人は、前提として必ず持ってください。

「言葉は人に通じないことがある」んですね。

狂った人からの引きずり注意!

これだけ聞くとそんなに問題がないように思えますが、実は深刻なレベルの問題があります。

その「ヤベー人」の意見にフォーカスしてしまって、自分も狂ってしまうケースがあるからです。

人は、ネガティブに反応、フォーカスするようにできています。

進化論とも言われますが、人はサバンナで元々生活していて、それが600万年とか、自分の本能として残って現在でも残っている。

それを前提とした方が良いという説です。

それに関して考えると、私たちはネガティブにフォーカスするようにできているんですね。

サバンナで生活していて、いつか動物が襲ってくるかもしれないとか。

何かしらネガティブなことにフォーカスしなければ、生き残れなかったんですね。

例えばライオンが隣にいて、こいつは襲ってこないだろう、と考えていたら食われて死んじゃうんですね。

なので、ネガティブなことに集中して生き残ったので、本能として残っています。

崖の近くで踊ったら落ちる可能性が高くて危ないですよね。

そうならないように、ネガティブなこと、崖に注目するようにして、恐怖を必要以上に感じ、距離をとるような性質になっています。

バンジージャンプでも、きちんと縄があって、安全だとわかっていても、飛び降りるのが怖い、なぜか一歩が踏み出せないのと同じ現象です。

そういった、私たちの本能に刻まれたものが現代では良くない方向に働いています。

とあるゲームカフェであったことなんですが、経営が苦しいから値上げしようと思います、と店長がツイートをしたことがありました。

これに対してほとんどの人、というか実際に通ったことがあるお客さんですかね、は賛成していて、要は値上げOKだ、良いじゃないですか、と肯定的な意見が多かったんですね。

実際ツイッターのリプライを読んでも、8割くらいの人は賛成していたと思います。

けれども、残り2割のちょっとした反対意見、5%くらいの頭のオカシイ反対意見にフォーカスしてしまって、どんどん店長さんが狂ってしまったというか、意見がキツクなってしまったんです。

基本は肯定的な意見だったけれども、残り2割の「値上げなんてありえない、だったら行かない」とか、「場所なんてどこにでもあるんだから、タダで提供しろ」とか、意味の分からない意見にフォーカスしてしまったんですね。

ネガティブ意見にはなるべく触れない

ネガティブな意見は、言われた側の人に残ってしまいます。

嫌な記憶として、刺さってします。

分かりやすいのが、昔の思い出は楽しかったことより恥ずかしかったこととか、苦しかったことの方が覚えているのではないでしょうか?

あるいは夢でも今日は幸せだ~なんて夢よりも、気が付いたら死んでいましたみたいなネガティブな夢の方が良く覚えていると思うんですね。

ネガティブな方が残りやすいんです。

こういったお店の話に戻って、「ヤベー反対意見」があると精神衛生上非常によろしくなくて、心無い意見だと冷静に分かっていても、考える必要がないと分かっていても、本能的に、しみついて残ってしまうんですね。

最初に上げたハンドメイドでも、原価レベルに値切られるということは、「お前の技術なんて大したことない」と言葉の裏で言われているのと同じで、本人は粛々と対処しても心の奥底で結構傷ついています。

本当、やめてほしいと思います。

まっとうな意見、手を抜いていて、こんな料金はおかしいですよね、みたいな意見は必要で、正しいと思うんですけれども、こんなに頑張ったのにスゴイ値切られるとか、ヤベー意見というのは、言われた側にとっては苦しめる鎖になってしまうんです。

ですので、まずはおかしな意見というのが一定数存在していて、考える必要はない。

そして、考える必要がないとわかっていても、ネガティブな意見は存在するだけで危ない。

ということを問題編として知って頂ければと思います。

今回長くなってしまったので、次は解決編、ということでお話させて頂ければと思います。

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